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前健雑記

漫画家を志すも夢破れたライターの40代「半隠居」男による雑記

初心者のためのビートルズ・ストリー入門 第1回 (全3回)

「ビートルズ:アイドル期 前代未聞のロックバンド登場の衝撃と喧噪」

1962年、イギリスの港町リバプールで生まれ育ったジョン・レノンポール・マッカートニージョージ・ハリスンリンゴ・スターの4人組がレコードデビュー。たちまちイギリス国内でスターダムにのし上がり、続いてアメリカをはじめとする全世界で多くのファンを獲得するに至った。斬新な音楽やメンバーのキャラクターに魅了された若者「ビートルマニア」によって、ビートルズは熱烈な支持を受けた。

 


ビートルズ、デビュー

1962年10月5日、ビートルズはファーストシングル『Love Me Do』をリリースしました。

 

ジョン・レノンとポール・マッカートニーが「クオリーメン」という名ではじめて一緒にステージに上がってから約5年。

 

その間にジョージ・ハリスンの加入やドイツでの下積みがあり、ドラマーがピート・ベストからリンゴ・スターへ代わるなど紆余曲折を経て、マネージャーを買って出たブライアン・エプスタインの後押しを受けました。

 

しかし「ビートルズの音楽は好きじゃない」というデッカ・レコード担当者の今となっては「世界最悪の予言」として歴史に残る言葉を浴びます。めげずに懸命の営業・オーディションを続けてEMIで待望のデビューでした。

 

『Love Me Do』はイギリスの売り上げチャートで17位のスマッシュヒット。


ここから「史上最も成功したロックバンド」とギネス認定されたグループの伝説が始まったのです。


トップを独走

ビートルズは1963年に入ってすぐに第二弾シングル『Please Please Me』を発売。プロデューサーのジョージ・マーティンが予測したとおり、チャート1位を獲得します。

 

その余勢を駆って2月にはアルバム『Please Please Me』のレコーディングをたった1日でおこないます。翌月に発売して、これもまた1位。このファーストアルバムがひたすら毎週1位を走っている間に、ビートルズは次のアルバム『With The Beatles』をレコーディング。11月に発売して、当然のごとく1位を獲得します。

 

 

 

ザ・ビートルズ 1

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Please Please Me (Remastered)

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With the Beatles (Original Recording Remastered) [12 inch Analog]

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With The Beatles (Remastered)

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ラジオ・テレビ出演もおこない、コンサートツアーも多数敢行。それまでのロックンロールに飽き足らなかった若者の間でビートルズ人気は加熱し、イギリス社会において大きく広がって熱狂的なファン「ビートルマニア」が誕生しました。

 

特に10代女性ファンの多くがコンサートで大きな喚声をあげて、ビートルズの演奏は聞こえなくなるほど。失神するファンも続出し、楽屋の入り口にはプレゼントや電報の山で埋まってしまうほどでした。


アメリカ制覇

1963年11月にイギリスで発売された『I Want To Hold Your Hand』がついに翌年2月、アメリカのヒットチャート1位を獲得しました。

 

ビートルズはすぐさま渡米。テレビの人気音楽バラエティ番組「エド・サリバン・ショー」に出演します。

 

このときの放送は視聴者数が7300万人、あるいは視聴率72%と伝えられ、今でも全米史上最高と考えられているとのことです。

 

同年4月には「ビルボード」誌のチャートでビートルズの曲が1位から5位までを独占するという空前の偉業を達成するに至りました。世界一のマーケットであるアメリカを完全制覇し、名実ともにトップスターになった瞬間でした。


初期ビートルズの「新しさ」とは

初期のビートルズはなぜ、世界中の人々から驚きをもって迎えられたのか。大きく二つが挙げられます。

 

一つ目は、初期のアルバム収録曲の一部を除いて、楽曲はすべてメンバー自作であったということです。新人ミュージシャンが自作曲でデビューを飾るというのは現在では当たり前ですが、当時としては異例中の異例でした。しかもその自作曲が斬新な傑作揃いだったので、耳の肥えたリスナーはビートルズに病みつきになったのです。

 

二つ目は、メンバーの自由奔放・反逆的なキャラクターでしょう。多くの若手が優等生ぶるショービジネス界において、報道陣に囲まれても平気で酒を飲みタバコを吸い、時には怒鳴りつけたり言い負かすというスタイル。さらにそれを秀逸なユーモアで笑い飛ばすという豪胆さ。当時の若者を魅了したのは当然の成り行きと言えましょう。


激務に悲鳴

アメリカで成功した当代随一のスターとして、当時の当然の展開としてビートルズは映画に出演します。初の主演映画は『A Hard Day's Night』。このタイトルは文法としては正しくありませんが、リンゴがあまりの忙しさに思わず口走った言葉をジョンが面白がって使ったのが採用されたのです。ビートルズがコンサートや旅、そしてファンに追いかけられる日常をもとに作られたこの映画は好評を博しました。

 

映画と同名の曲、そしてアルバム(一応サントラとされている)がジョン主導で作られ、これは「初期の最高傑作」の呼び声が高いものとなります。初めて13曲すべてがカバー曲なしのレノン・マッカートニー自作によるアルバムとなりました。

 

ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ! [12 inch Analog]

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A Hard Day's Night (Remastered)

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映画撮影が終了してわずかな休暇をとったあと、北米大陸25会場コンサート、新作アルバム『Beatles For Sale』レコーディング、1964年末から翌年にかけて3週間の英国ツアー。その隙間にシングルも三枚発売という超過密スケジュールに追われます。

 

 

ビートルズ・フォー・セール

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Beatles For Sale (Remastered)

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ジョージは当時を振り返って「1日が1週間分の感じだった。僕らはまともだったんだ。世間が異常だったのさ」と述懐。ポールも「僕らは、少しずつクレイジーな状況になっていった」と振り返ります。


大人も認める「アーティスト」へ

 

殺人的スケジュールに最も辟易していたのはジョンだったのでしょう。1965年2月から主演2作目の映画『Help!』の撮影と同名アルバムのレコーディングを開始したビートルズでしたが、ジョンはアルバム1曲目の自作『Help!』について「アイドル稼業はもううんざりだ。助けてくれって心境だった。あの曲は、はじめて書いたメッセージ・ソングだ」と当時の心境を正直に告白しています。

 

 

 

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Help! (Remastered)

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このような狂乱にも似た状況の下、ポールは後に「世界で最もカバーされた曲」としてギネス認定される名曲を『Help!』に収録しています。言わずと知れた『Yesterday』です。ポールがある朝目覚めるとメロディが鳴っていて「知らない曲だ。何だこれは」と思い、いろんな人に訊いてみたものの、どうやら自分が作ったらしいと結論づけたというエピソードが残っています。

 

辛辣な皮肉屋で知られるジョンもさすがに後年「『Yesterday』のことなら全部わかっている。僕は『Yesterday』を絶賛しているんだ。ポールが生み出した、ポールの曲だ。よくできているよ。素晴らしいね」と手放しで絶賛したほどです。

 

このポールが単独で作った、レコーディングのときもポール以外のメンバーが参加していない『Yesterday』は、ビートルズファンはもちろん、ビートルズの曲を「ただのやかましい不良の音楽」と渋い顔で非難していた大人たちまで唸らせる結果となり、アイドル扱いのようなことをされていたビートルズが変革期に移るきっかけの一つにもなりました。

 

そして1965年10月、ビートルズは外貨獲得に大きく貢献したという理由で、バッキンガム宮殿にてエリザベス女王から勲章(MBE)を受けました。しかし、ビートルズの受勲に対して批判を口にする人々も。

 

ジョンによれば「不平を言っていたのは戦争の英雄行為で勲章を受けた人たちだった」。

 

ポールは後年に「叙勲者たちの多くは僕らを祝福してくれたけど、英国空軍の老人たちの何人かは、長髪の馬鹿どもが叙勲するとはMBEも落ちぶれたものだって思っていたみたいだ。でも、たいていの人たちは、僕らのことを輸出に貢献したイギリス大使みたいに思ってくれたよ」と回顧しています。

 

名実ともに世界を代表する大スターにまで登り詰めたビートルズ。しかし、そこに安住することなく、グループ活動中盤の変革期へ入っていきます。

 

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