1977年(昭和52年)、読売ジャイアンツの王貞治選手は、メジャーリーグのハンク・アーロンが持つ本塁打記録755本を抜く通算756本目の本塁打を放った。
これにより王は、福田康夫内閣が制定した国民栄誉賞を贈られた。「世界の王」となり、名実ともにプロ野球界においてNo.1の地位を揺るぎないものとした。
しかしこの年、球界のキング・王の年収を超える野球人が存在していたことを知る人間は多くない。
まさに思わぬ伏兵といって良いだろう。その男の名は水島新司――日本を、いや、世界を代表する野球漫画家である――。
1977年の王貞治の収入
2億超えの驚異
まずは1977年の王貞治が稼いだ金額を見てみよう。
・王貞治の申告所得額…2億5272万円
「高額納税者公示制度」について
戦後の1948年度から2004年度まで、日本には「高額納税者公示制度」というものが存在していた。
一定の金額以上を納税した人物の氏名と金額を公表する制度である。
1983年からは「納税額」が発表される形式になったが、それ以前は本人が申告した所得額がそのまま公表されていた。
王貞治、高所得のカラクリ
よって、王の所得額は公表どおり2億5000万円を超える額で間違いない。
この数字に違和感を持つプロ野球ファンがいるかもしれない。「王貞治…現役時代の年俸最高額は8000万円なのでは…?」と。
確かに日本プロ野球界において、初めての1億円プレーヤーは落合博満である、というのが定説である。
しかし、南海ホークスで選手兼監督を努めた野村克也は、選手としての年俸とは別に監督としての年俸も得ていて、それは1億円を超えていた。
王貞治も、他の選手たちの年俸額を抑えるために、球団側があえて実際よりも低い年俸を発表していたのは知る人ぞ知る話だ。
さらに王はテレビCMをはじめ、高額なメディア出演料なども得ていたはずなので、さほど驚くべき所得ではないかと思われる。
とはいえ、45年前の2億5000万円という所得額が途方もない数字であることは間違いない。
1977年の水島新司の収入
衝撃の「王超え」
1977年、野球漫画家・水島新司に関しては、日本最高のプロ野球選手である王貞治を超える年間所得額が発表された。
・水島新司の申告所得額…2億9167万円
文化人として日本一の所得
このころ、水島新司は野球漫画を描いて描いて描きまくっていた。
週刊少年チャンピオンで『ドカベン』、ビッグコミックオリジナルで『あぶさん』、その他多数。
特に『ドカベン』は、週刊少年チャンピオンの黄金期と相まって高い売り上げを記録し、総発行部数は4800万部。
1977年度は、歴史ある茶道家元や華道家元、大御所作曲家などを抑えて文化人部門で所得額1位となった。それだけではなく、歌手部門1位の井上陽水・俳優部門1位の藤山寛美をも大きく引き離しての1位である。
今も昔も漫画の大ヒットはすさまじい…。
水島新司の功績
かつてはメディアで報じられることの少なかったパ・リーグだが、そこを舞台にした漫画『あぶさん』でスポットライトを当てたことは大変に意義深い仕事であったと思われる。
そんな水島新司も今年(2022年)亡くなった。
漫画界において誰よりも野球を愛し、野球を描いた男として、偉大な記録とともに長く記憶されるであろう人物だ。