2022年11月25日は、日本が誇る世界的作家・三島由紀夫が衝撃的な自決を果たしてから52年。
三島はこのとき45歳という若さ。
遠い昔の文豪というイメージがある人も多いかと思いますが、存命ならば97歳です。
三島は、なぜ40代という当時としても早すぎる時期での死を選んだのか?
これまで多くの識者が論じてきた問題ですが、私なりに考察をしたいと思います。
世間で三島由紀夫の自決の理由としてよく取り上げられる説は、大まかに次のようなものです。
- 1.戦後日本の社会状況あるいは国家の将来に対する絶望
- 2.ノーベル文学賞を逃した絶望
- 3.創作の行き詰まりや創作能力の枯渇に絶望
- 4.自分の老いに対する嫌悪と絶望
どれも説得力を持っており、おそらくすべてが緩やかにつながって三島の最期に繋がったのかと思われます。
もちろん他にも理由は多くあるでしょう。
人間の心は複雑…特に三島の精神は途方もなく複雑だったかと推察されます。
私は近年、4つめに挙げた「自分の老いに対する嫌悪と絶望」が三島にとってかなり大きな懸念事項だったのではと考えています。
老いに対する嫌悪、あるいは恐れや絶望という思いは、三島が遺した様々な文章や談話にて語られているのが散見されます。
実は私も今年(2022年)で三島の享年と同じ満45歳になりました。
社会的には「働き盛り」などと言われてまだまだ頑張っていけるとされる年齢ではあります。
しかし、生物的には完全にピークアウト。
「人生五十年」といわれた時代、40代は「初老」と呼ばれる世代だったのです。
どう抗っても肉体や精神、そして脳のパワーも転がり落ちていくのを実感せずにはいられません。
この状態を「男の更年期症状」と割り切ってなんとか我慢、なんとかしのいで生き続ける人がほとんどではあるでしょう。
しかし三島は、己が老いさらばえることに我慢ならなかった。
私は三島のような天才でもなければ偉人でもありませんが、自分の老い・あらゆる能力の低下に対する嫌悪感は、よく分かります。
晩年の三島はマッチョ的思想に基づく作品や発言が多かったですが、本来は浪漫的・耽美的な作風が彼の真髄であるはず。
そのような美意識がとてつもなく発達している作家にとって、若かりし頃の高度な能力や衆目を集める魅力が落ち込んでいく「老化」という現象は耐えられるものではなかったのではないでしょうか。
例えば、落語家の立川談志(七代目)も老境に至ってからは「自分は老人の初心者なのでどうすればいいのかよく分からない」という戸惑いを表明していました。
天才と呼ばれる人々のその繊細すぎる感性は「老い」という人生の零落に対しても並外れて敏感で人一倍恐れてしまうものなのではないでしょうか。
三島は病跡学的見地からも、様々な精神疾患を抱えていたのではという報告は多いので、そういった病が「老い」への嫌悪や恐怖に拍車をかけたのかもしれません。
なぜ三島由紀夫が自決したかという問題の本当のところは、当然本人にしか分からないのでしょう。
いや、こういう事は本人にでさえよく分からないのが実情ではないかと思われます。
自決した三島とはあくまで45歳男性の物書き…という共通点しかない私ですが、考えるほどに「老い」というものが始まってしまった焦燥感・不安感は、よく理解できます。
正直、40代を生きるということは実に悩ましい問題。
ミドル・クライシスと言われるほどですから、その危機が顕著かつ深い男性は本当に大儀かと…。
三島由紀夫は昭和を代表する文豪・天才であることに間違いはないでしょう。
ただ三島を一人の男として考えれば案外、彼の世俗的な悩みというのも見えてくるかと私は思っています。